看護師の道を選ぶ

みなさんは両親との思い出や、記憶が頭の中にたくさん残っていると思いますが、小学生時代、私と両親との思い出は少なく、覚えているのは、学校から帰ったらだれもいない家で、寂しくひとりでご飯を食べており、医師と看護師として働いていた両親は忙しく、一緒に過ごす時間は、一般的な家庭よりも極めて少ないように思います。

それから少しずつ大きくなり、中学生になった頃から、母親に病院で働く仕事の内容を聞くようになり、看護師の仕事に信念を持っていることをしり、母親に対する見方が変わってきたのですが、相変わらず仕事が忙しくて家にはあまりいませんでした。

いま思えば、生活に困っているわけではないので、母親ぐらい家庭にいて欲しいと思いますし、子どもの面倒を見ても良かったのではないかとは思いますが、私も薬剤師として働き始めた頃から、少しだけ母親の気持ちが分かるようにもなりました。

それにしても、子供を放置しすぎだろうとも思ってしまうもので、自分の子どもには絶対に同じ思いはさせたくないと思っており、看護師の仕事も一旦休止しようと考えています。

とは言っても、まだ子供もいないので、だいぶ先の話なのですけどね。

上記の話のとおり、私は母親の景況を受けて看護師の道を選んだわけですが、母親が話していたとおり、遣り甲斐もありますし、職場で患者さんと接することが楽しく、看護師の仕事をさせてもらえていること対し、全ての人に感謝しています。

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自立するために准看学校へ

私は、准看護師の学校に通いながら働いていたのですが、「経済的に困っているわけでもないのに」と、不思議に思われる人が多いのですが、両親が共働きをしていた我が家ですから、反抗期といいますか、高校に行かずに自立したいという思いが強くなり、中学三年生の頃は両親と喧嘩三昧の日々でした。

中学を卒業したら看護師になるために、准看学校に行きたいと母親に相談したら、高校に行って大学に通ったほうが早いし、それからでも遅くないので、高校に行って看護大学に進むように強く勧められたのですが、私は一早く自立したいと強く望み、硬直状態でした。

しかし、家庭状況によって自立したいと思った一連の流れを説明したら、両親もなくなく気持ちを汲んでくれて、准看学校に進むことを許してくれました。

そして、中学を卒業して看護師の道を目指したことは、私に取って大きな人生の転換期となり、社会人として働いている人たちと接点をもつことによって、私は大きく成長することができたと思っています。

今では、しっかりと正看護師の免許も取得し、患者さんのために働いています。